ジージャンと同行二人お四国さん

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告
  2. [ edit ]

第53番札所  須賀山 円明寺   (すがざん えんみょうじ)

5月1日

aIMGP2807.jpg



aIMGP2808.jpg


aIMGP2809.jpg

道路に面したところにある仁王門です。

あれ?、中にも門が見えます。

aIMGP2813.jpg

山門をくぐり、右手の手水舎で清めます。

そして

aIMGP2810.jpg

山門から真っすぐのところにある二層の中門です。

中門をくぐると、正面に本堂があります。

aaIMGP2815.jpg

聖武天皇の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像・勢至菩薩像を彫造して創建されました。
当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・円明密寺」と称されていました。
のちに、弘法大師が荒廃した諸堂を整え、霊場の札所として再興なさいます。
鎌倉時代に度重なる兵火で再び荒廃しますが、その後須賀重久によって現在の地に移されました。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【阿弥陀如来】 おん あみりた ていぜい からうん (三回唱えます)

その後大師堂の行きます。

aIMGP2816.jpg

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

IMGP3498.jpg


参拝の完了です。


少し境内の様子をご紹介いたします。


aIMGP2814.jpg

弘法大師像
大師堂の左手前に安置されています。

aIMGP2812.jpg

キリシタン灯籠
大師堂の左横に、マリア像が眠っている場所があります。
キリシタン禁制の江戸時代に、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたそうです。
宗教の本質は一つである、というお大師さまの御心でしょうか。


写真はすべて夫が撮っています。
私はこの2枚に気づきませんでした。

aIMGP2821.jpg

先日息子と話したのですが、物事は単純に考えたほうがうまく行くような気がします。
あまり複雑に考えると、かえって事を仕損じるような・・・私はどうもこっちの傾向が強いので。

aIMGP2822.jpg

はい、わかります!

このお寺でも

aIMGP2823.jpg

私はある名前を探しています。

この日のお参りは終了しました。
スポンサーサイト

  1. 53番札所
  2. / comment:2
  3. [ edit ]

第52番札所  瀧雲山 太山寺  (りゅうんざん たいさんじ)

5月1日

aIMGP2786.jpg

古刹にふさわしい風格のある三の門と呼ばれる四天王門で、四天王を祀る二層の楼門です。

ここに来るまでが結構長いのです。

aIMGP2806.jpg

こちらの仁王門は二の門です。
鎌倉時代の再建で 、3間8脚門 ・入母屋造り本瓦葺きの仁王門は、 国重要文化財に指定されています。
この門をくぐって、また延々と参道が続きます。

aIMGP2766.jpg

歩いていますね、ところがあまり記憶に無いのです。

aIMGP2775.jpg

鳥居の向こうには、大日如来像と修行大師像が安置されています。

aIMGP2779.jpg

お大師さまです。

aIMGP2776.jpg

手水場があり、水向け地蔵と水掛け地蔵とあります。

そしてやっと

aIMGP2778.jpg

山門を仰ぐ、長くて急な石段を登り始めます。

山門をくぐると

aIMGP2800.jpg

端正で美しい本堂があります。
1305年に創建され、桁行7間、梁間9間の入母屋造り本瓦葺きの本堂です。
国宝に指定されています。


もう一枚

aIMGP2791.jpg

感動しました!

この本堂にまつわる説話をお話ししますね。
豊後の国(大分)で炭焼きをしていた小五郎が、神のお告げで奈良の久我大臣の娘・王津姫と結婚します。
それから運が開け、真野長者と言われるほどになります。
その後、高浜海上で暴風雨に遭い、観音さまに無事を祈願したところ、難を逃れて高浜の岸で救われます。
それに感謝した真野長者は一宇を建立しようと、豊後の工匠を集めて高浜に到着し、本堂を夜を徹して組み上げます。
それ以来「一夜建立の御堂」と伝えられるようになったそうです。

その後、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が十一面観音像を彫造し本尊にしたといわれています。
孝謙天皇のころ、七堂伽藍と66坊を数えるほど寺は隆盛を誇るようになりました。
その後弘法大師が巡錫し、それまでの法相宗から真言宗に改宗なさいました。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【十一面観音】 おんまか きゃろにきゃ そわか (三回唱えます)

そして大師堂に行きます。

aIMGP2789.jpg

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。
その納経所は、本堂から250mくらい下にあります。

IMGP3479.jpg


参拝の完了です。

境内の様子をご覧ください。


aIMGP2796.jpg

境内に安置されている大きな弘法大師像です。

aIMGP2790.jpg

立派な山門の全景です。

aIMGP2794.jpg

夢殿
ここに祀られている聖徳太子の像は、学業成就にご利益があるといわれ、今も多くの受験生が祈願に訪れます。
幸せを「すくい上げていただく」ことから「しゃもじ」を奉納するのが慣わしとなっています。

aIMGP2799.jpg

摩尼車
これを一回まわせばお経を一巻読んだのと同じ功徳があるとのことです。

aIMGP2788.jpg

やはり一番心に焼き付いたのは、本堂の屋根です。
その大きくて、なだらかな傾斜の見事さに圧倒されます。

aIMGP2792.jpg

こちらは反対方向の側面からみた本堂です。
ここで父娘連れの方から、話しかけられました。
徳島の日和佐の方のようで、なぜか私たちに「別格も廻っておいでなのでは?」と声をかけられたのです。
本堂の素晴らしさを聞かせてくださり、別格霊場や鶴林寺の話を伺いました。

お別れをして、次の円明寺に向かいました。


  1. 52番札所
  2. / comment:2
  3. [ edit ]

第51番札所  熊野山 石手寺  (くまのざん いしてじ)

5月1日

aIMGP2731.jpg

大きなわらじと筋骨隆々とした仁王さまが迎えてくださる山門です。
二層入母屋造り本瓦葺きの仁王門は、国宝に指定されています。

aIMGP2733.jpg

素晴らしいでしょう~

ここに来るまでが長いのです。

aIMGP2715.jpg

大きな道路に面した賑やかなところに、石手寺はあります。

早速

aIMGP2718.jpg

この弘法大師像も境内ではなく、道路に面したところに安置されています。
凛々しいお顔の弘法大師です。

aIMGP2727.jpg

この像はどなただと思われますか?

aIMGP2728.jpg

衰弱しながらも手をつき、謝罪する衛門三郎の像です。

このお寺が「石手寺」と名付けられた伝説があります。
弘法大師を邪険にした衛門三郎が大師に謝罪するための四国巡礼で、やっと弘法大師に巡り会えますが息を引き取る寸前でした。
そこで大師が「なにか望みはあるか?」と言われ、衛門三郎は「来世は国司の家に生まれたい」と言い息を引き取ります。
大師は、「衛門三郎再来」と記された小石をその手に握らせます。
翌年、領主河野息利(やすとし)の家に男の子が生まれ、その赤ん坊が握った手の中に「衛門三郎再来」と書かれた小石がありました。

その像を過ぎると

aIMGP2730.jpg

両側に風情のある仲見世が立ち並んでいます。

そうしてやっと仁王門にたどり着きます。

その仁王門をくぐると

aIMGP2737.jpg

とても賑やかな境内です。
きれいに掃き清められています。

目を右にやると

aIMGP2739.jpg

どこを歩いて、少し上にある本堂に行けばいいのか、と迷うくらい掃き清められています。

そして道を見つけ

aIMGP2743.jpg

やっと本堂です。

728年に伊予の豪族越智玉純が、二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得します。
熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となりました。
翌年、行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀り、開基して法相宗の「安養寺」と寺号をつけられました。
「石手寺」と改められたのは、892年の「衛門三郎再来」の説話によるとされています。

本堂は国の重要文化財に指定されています。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)

そして大師堂に行きます。
この石手寺の大師堂は、別名「落書き堂」と呼ばれているそうです。
お堂の裏側に落書きができるところがあるそうです。
私たちはわかりませんでした、大師堂の写真もありません.....残念です。

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

IMGP3353.jpg


参拝の完了です。

広大な境内の様子をご紹介いたします。

aIMGP2741.jpg

こちらは境内にあるお大師さまのお像です。
道路に面したところのお大師さまと違い、可愛らしい感じのお大師さまでした。

aIMGP2738.jpg

三重の塔 
鎌倉末期建立で本瓦葺き屋根の三重塔は高さ約24m、こちらも重要文化財に指定されています。


aIMGP2745.jpg

aIMGP2746.jpg

石手寺本堂左手に長さ160mの「マントラ洞窟」があります。
長い暗闇のトンネルを歩きながら、胎蔵界と金剛界を体感できるというものです。
私達も入ってみました。
歩く途中に、ありがたい言葉が書かれており、私は声に出しながら読んだのですが・・・
もう忘れてしまっています....

そこを出ると

aIMGP2757.jpg

山頂には、日本一大きい大師像「日中友好弘法大師像」(16m)を眺めます。

こんな感じです。

aIMGP2758.jpg


石手寺には、数々の七福神の像がありました。

aIMGP2764.jpg

aIMGP2740.jpg

aIMGP2744.jpg

aIMGP2762.jpg

夫が喜んで撮っている顔が想像できます。


しかしながら、そのせいか・・・四方に腰袴がついた重要文化財指定の鐘楼堂も、子供を守る「鬼子母神」が祀られて、安産祈願の信仰を集めている「訶梨帝母天堂(かりていぼてんどう)」(重要文化財指定)の写真もありません.....



  1. 51番札所
  2. / comment:2
  3. [ edit ]

第50番札所  東山 繁多寺  (ひがしやま はんたじ)

5月1日

aIMGP2692.jpg

aIMGP2693.jpg

シンプルで垢抜けた山門です。


aIMGP2694.jpg

寺名の石柱ですが、この裏側に10000人のお接待を成就した記念碑でもあります。

山門を抜けると
aIMGP2697.jpg

広々とした境内が広がります。

前方に見える石段を上がると
aIMGP2703.jpg

周囲を森に囲まれ威風堂々とした本堂があります。

孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が90cmの薬師如来像を彫造し安置して開基しました。
そして寺号を「光明寺」とされました。
その後、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留され寺号を「東山・繁多寺」と改め、霊場とされました。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)

そして向かって右にある大師堂に行きます。

aIMGP2704.jpg

大師堂も緑の木々に囲まれています。

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

IMGP3292.jpg


参拝の完了です。

境内を少しご紹介いたします。

aIMGP2707.jpg

お大師さまのお像です


こちらにも

aIMGP2705.jpg

南無興教大師


天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、後小松天皇の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっています。
江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀り、寺運は36坊と末寺100数余を有するほど隆盛を極めました。

aIMGP2709.jpg

この広大な寺域に、当時の隆盛が想像できます。


この繁多寺は、一遍上人ゆかりのお寺でもあります。
一遍上人は伊予の名門河野家の次男として道後で生まれ、13歳で出家されます。
繁多寺で修行されたのは、14歳から太宰府で修行をして、そのあと帰郷された頃ではないかと言われています。
25歳で伊予に帰り、その後また全国を遊行して念仏三昧の生涯を送られます。

『生ぜじもひとりなり 死するも独りなり』 一遍上人


  1. 50番札所
  2. / comment:4
  3. [ edit ]

第49番札所  西林山 浄土寺  (さいりんざん じょうどじ)

5月1日

aIMGP2662.jpg

どっしりとして重厚な仁王門です。

aIMGP2664.jpg

ある本では、阿像仁王様の片方の目が空洞になっていると書かれていましたが。
目の色が少し違うようです。

門をくぐると
aIMGP2685.jpg


右手に手水舎、正面に階段があります。

その階段を上がると、正面には本瓦葺きの屋根で和様と唐様折衷の本堂があります。

aIMGP2666.jpg

端正で荘重なたたずまいです。
重要文化財に指定されています。

女帝・孝謙天皇の勅願で、恵明上人により行基菩薩が彫造した釈迦如来像を本尊として開創されました。
法相宗の寺院だったそうで、のちに弘法大師がこの寺をお訪ねになり、荒廃していた伽藍を再興して真言宗に改宗なさいます。
そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび66坊の末寺をもつほど隆盛したということです。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【釈迦如来】 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく (三回唱えます)

そして向かって右にある大師堂に行きます。
本堂と大師堂の真ん中に大師像があります。

aIMGP2668.jpg

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

IMGP3179.jpg


参拝の完了です。


境内の様子をご覧ください。

浄土寺は空也上人のゆかりの寺でもあります。
空也上人が四国を巡錫し浄土寺に逗留したのは957年から3年間で、村人たちへの布教に努められました。
口から6体の仏像が出ている空也自刻の空也像は有名で、重要文化財に指定されています。
6体は、念仏の『南無阿弥陀仏』の6字を意味しています。

aaIMGP2682.jpg

aIMGP2682.jpg


西林寺にもありましたが、こちらにも正岡子規の句碑があります。

aIMGP2679.jpg

『霜月の空也は骨に生きにける』

aIMGP2680.jpg

「空也の肉体は白骨となっても、人々の胸には念仏の教えが今も生きている」


aIMGP2676.jpg

『お遍路や 杖を大師と たのみつつ』  白象

私もこの句を心に刻み....次の札所「繁多寺」に向かいます。


  1. 49番札所
  2. / comment:0
  3. [ edit ]

NEW ENTRY  | BLOG TOP |  OLD ENTRY »

プロフィール

まま♪

Author:まま♪
息子を亡くして20年、いつか四国八十八箇所霊場巡りをしたいと思ってきました。
そのために体を鍛えたり、金銭的にも無理や負担のないように計画できないものかと色々考えて来ました。
やっとその目処もつき、初めの第一歩を踏み出しました。
六十路のゆるい修行の旅になりそうです。

« 2017 09  »
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

検索フォーム

ブロとも申請フォーム



.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。