ジージャンと同行二人お四国さん 50番札所

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第50番札所  東山 繁多寺  (ひがしやま はんたじ)

5月1日

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シンプルで垢抜けた山門です。


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寺名の石柱ですが、この裏側に10000人のお接待を成就した記念碑でもあります。

山門を抜けると
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広々とした境内が広がります。

前方に見える石段を上がると
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周囲を森に囲まれ威風堂々とした本堂があります。

孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が90cmの薬師如来像を彫造し安置して開基しました。
そして寺号を「光明寺」とされました。
その後、弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留され寺号を「東山・繁多寺」と改め、霊場とされました。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)

そして向かって右にある大師堂に行きます。

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大師堂も緑の木々に囲まれています。

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

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参拝の完了です。

境内を少しご紹介いたします。

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お大師さまのお像です


こちらにも

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南無興教大師


天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺とのゆかりも深く、後小松天皇の勅命により泉涌寺26世・快翁和尚が、繁多寺の第7世住職となっています。
江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀り、寺運は36坊と末寺100数余を有するほど隆盛を極めました。

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この広大な寺域に、当時の隆盛が想像できます。


この繁多寺は、一遍上人ゆかりのお寺でもあります。
一遍上人は伊予の名門河野家の次男として道後で生まれ、13歳で出家されます。
繁多寺で修行されたのは、14歳から太宰府で修行をして、そのあと帰郷された頃ではないかと言われています。
25歳で伊予に帰り、その後また全国を遊行して念仏三昧の生涯を送られます。

『生ぜじもひとりなり 死するも独りなり』 一遍上人

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プロフィール

まま♪

Author:まま♪
息子を亡くして20年、いつか四国八十八箇所霊場巡りをしたいと思ってきました。
そのために体を鍛えたり、金銭的にも無理や負担のないように計画できないものかと色々考えて来ました。
やっとその目処もつき、初めの第一歩を踏み出しました。
六十路のゆるい修行の旅になりそうです。

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