ジージャンと同行二人お四国さん 第51番札所  熊野山 石手寺  (くまのざん いしてじ)

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第51番札所  熊野山 石手寺  (くまのざん いしてじ)

5月1日

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大きなわらじと筋骨隆々とした仁王さまが迎えてくださる山門です。
二層入母屋造り本瓦葺きの仁王門は、国宝に指定されています。

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素晴らしいでしょう~

ここに来るまでが長いのです。

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大きな道路に面した賑やかなところに、石手寺はあります。

早速

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この弘法大師像も境内ではなく、道路に面したところに安置されています。
凛々しいお顔の弘法大師です。

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この像はどなただと思われますか?

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衰弱しながらも手をつき、謝罪する衛門三郎の像です。

このお寺が「石手寺」と名付けられた伝説があります。
弘法大師を邪険にした衛門三郎が大師に謝罪するための四国巡礼で、やっと弘法大師に巡り会えますが息を引き取る寸前でした。
そこで大師が「なにか望みはあるか?」と言われ、衛門三郎は「来世は国司の家に生まれたい」と言い息を引き取ります。
大師は、「衛門三郎再来」と記された小石をその手に握らせます。
翌年、領主河野息利(やすとし)の家に男の子が生まれ、その赤ん坊が握った手の中に「衛門三郎再来」と書かれた小石がありました。

その像を過ぎると

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両側に風情のある仲見世が立ち並んでいます。

そうしてやっと仁王門にたどり着きます。

その仁王門をくぐると

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とても賑やかな境内です。
きれいに掃き清められています。

目を右にやると

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どこを歩いて、少し上にある本堂に行けばいいのか、と迷うくらい掃き清められています。

そして道を見つけ

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やっと本堂です。

728年に伊予の豪族越智玉純が、二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得します。
熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となりました。
翌年、行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀り、開基して法相宗の「安養寺」と寺号をつけられました。
「石手寺」と改められたのは、892年の「衛門三郎再来」の説話によるとされています。

本堂は国の重要文化財に指定されています。

この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)

そして大師堂に行きます。
この石手寺の大師堂は、別名「落書き堂」と呼ばれているそうです。
お堂の裏側に落書きができるところがあるそうです。
私たちはわかりませんでした、大師堂の写真もありません.....残念です。

その大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。

このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

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参拝の完了です。

広大な境内の様子をご紹介いたします。

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こちらは境内にあるお大師さまのお像です。
道路に面したところのお大師さまと違い、可愛らしい感じのお大師さまでした。

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三重の塔 
鎌倉末期建立で本瓦葺き屋根の三重塔は高さ約24m、こちらも重要文化財に指定されています。


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石手寺本堂左手に長さ160mの「マントラ洞窟」があります。
長い暗闇のトンネルを歩きながら、胎蔵界と金剛界を体感できるというものです。
私達も入ってみました。
歩く途中に、ありがたい言葉が書かれており、私は声に出しながら読んだのですが・・・
もう忘れてしまっています....

そこを出ると

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山頂には、日本一大きい大師像「日中友好弘法大師像」(16m)を眺めます。

こんな感じです。

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石手寺には、数々の七福神の像がありました。

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夫が喜んで撮っている顔が想像できます。


しかしながら、そのせいか・・・四方に腰袴がついた重要文化財指定の鐘楼堂も、子供を守る「鬼子母神」が祀られて、安産祈願の信仰を集めている「訶梨帝母天堂(かりていぼてんどう)」(重要文化財指定)の写真もありません.....


 
前回中途半端に終わったことを少し書いてみようと思います。
『生ぜじもひとりなり 死するも独りなり』
単純に読むと、人は生まれるときも、死ぬときもひとりである、ということでしょうね。
その後に続く『されば人と共に住するも独なり  そひはつべき人なき故なり』

人と一緒に暮らしていても、ひとりなのだ 最後まで添い遂げ一緒に死ぬことはできない
当たり前のことですよね。
その当たり前のことが、恋人ができたり夫婦になったり子供が生まれたり孫が生まれたり、友人と親しくなったり
そういう生活をしていると、周りに人がいることに慣れて、1人で過ごすことに不慣れになってくることってあると思います。

たまに一人でいることは気楽だったりして、それはそれで楽しめますが、一人が永遠に続くと思ったら寂しさを感じることが多いかもしれません。
「孤独を楽しめる」と言いますが、全くの一人で孤島に暮らしてもほんとうの意味で楽しめますかね。
やはり、周りに人がいてその関わりを持ちながらの一人でないとつまらないですね、私は。

独りの大切さも思います。
周りにとの関わりがいつも自分の思うようには行かないとき、その煩雑さの中では自分を省みることは難しいです。
ですが、独りになって孤独と対峙すると、意外と自分のことが冷静に見られたりします。
「孤独を愛する」という大層なことではなくても、ある程度の孤独に慣れている方が楽な生き方に繋がるような気がします。

私の周りの親しい人たちは、私のことを「絶対に一人では暮らせない」と口を揃えて言いますが
そうは言っても、そういう環境になったら一人で暮らさなければならないのです。
そう言いながら一人の恐怖を感じるよりも、今の人間関係に感謝して「一人でも大丈夫な精神」を養いたいと思います。
私は還暦をとうに過ぎても、まだまだ甘っちょろいですかね。

今一度、『生ぜじもひとりなり 死するも独りなり』

  1. 51番札所
  2. / comment:2
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comment

ひとりと孤独

  1. 2017/05/19(金) 23:15:39 |
  2. URL |
  3. 遠音
  4. [ edit ]
私は良く一人が好きと言います。 でも孤独だと思ったことあまりなく。
一人でいることと孤独とはちょっと違うと思っています。
夫が先へ逝ったことで 寂しいなぁ・・と思っても
自分は孤独だと思わないし、一人の心地よさはどなたにも邪魔されたくは無いと言う気持 他の方より強いかも知れません。

そういう自分を遠景に置き 自分を眺めるとき
「遠音さん結構良い暮らししていますね。」という感じなんですよ。

Re: ひとりと孤独

  1. 2017/05/20(土) 22:11:57 |
  2. URL |
  3. まま♪
  4. [ edit ]
遠音さん、こんばんは。

そうですね、よくわかります。
孤独じゃないから、一人も楽しめるのだと思います。
私は優しい夫がいて、家族もいて、声をかければ振り向いてくれる友人もいます。
ですが、ふと孤独を感じることもあります。

それは物理的な孤独感ではなく、自分の思いに対する孤独感です。
若いときと比べると、心の声を発しなくて済むようになりました。
ですから、その孤独感に寂しさはありません。
そして、その孤独感は自分で乗り越える強さを与えてくれるような気がします。

私はこれまで、単純な一人きりさえ経験したことがないのです。
周りに人がいての一人とは、全く違いますよね、色んな意味で。
おっしゃるように「一人は強さの象徴」だと思います。
「一人と孤独」も面白いテーマですね。




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プロフィール

まま♪

Author:まま♪
息子を亡くして20年、いつか四国八十八箇所霊場巡りをしたいと思ってきました。
そのために体を鍛えたり、金銭的にも無理や負担のないように計画できないものかと色々考えて来ました。
やっとその目処もつき、初めの第一歩を踏み出しました。
六十路のゆるい修行の旅になりそうです。

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