第59番札所 金光山 国分寺 (こんこうざん こくぶんじ)
10月9日

山門がなく、とりあえず入り口でご挨拶をします。

寺名が彫り込んである石柱がありました。

石段を上りきった所の正面に本堂があります。

瀟洒な佇まいの本堂です。
聖武天皇の勅願により行基菩薩がご本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと言われています。
3代目住職・智法律師のとき、弘法大師が長期滞在なさったおりに「五大尊明王」の絵をお描きになります。
その絵を本堂に安置され霊場に定められます。
また大師の弟子・真如も巡錫し、「法華経」の一部を書写して奉納されました。
この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)
その後大師堂に行きます。

こちらが大師堂です。
この大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。
このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

参拝の完了です。
境内の様子をご紹介いたします。

鐘楼です。
ここでは突けませんでした。

薬師のつぼです。
「からだのことを念じつつ 御真言に触れながら 一度お唱え下さい」と書いてあります。

手水舎にある薬師のつぼです。

とくとく弁天
福徳・円満のご利益があるそうです。

福々しいお顔の七福神さまです。

慈悲に満ちた表情で、温かく手を差し伸べられているお大師さまです。
私も

心を込めて、感謝の心で手を合わせ

目を見合わせながら、一つだけお願い事をさせていただきました。
笑っていらっしゃるようでした。

整然とした境内です。
心洗われるようなお詣りができました。

山門がなく、とりあえず入り口でご挨拶をします。

寺名が彫り込んである石柱がありました。

石段を上りきった所の正面に本堂があります。

瀟洒な佇まいの本堂です。
聖武天皇の勅願により行基菩薩がご本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと言われています。
3代目住職・智法律師のとき、弘法大師が長期滞在なさったおりに「五大尊明王」の絵をお描きになります。
その絵を本堂に安置され霊場に定められます。
また大師の弟子・真如も巡錫し、「法華経」の一部を書写して奉納されました。
この本堂で、灯明・線香・納め札・お賽銭を納め、お経を上げます。
ご本尊真言は【薬師如来】 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか (三回唱えます)
その後大師堂に行きます。

こちらが大師堂です。
この大師堂で、ご本尊真言は唱えないで、あとは本堂と同じように参拝します。
このあと、納経所に行き御朱印と御影を頂きます。

参拝の完了です。
境内の様子をご紹介いたします。

鐘楼です。
ここでは突けませんでした。

薬師のつぼです。
「からだのことを念じつつ 御真言に触れながら 一度お唱え下さい」と書いてあります。

手水舎にある薬師のつぼです。

とくとく弁天
福徳・円満のご利益があるそうです。

福々しいお顔の七福神さまです。

慈悲に満ちた表情で、温かく手を差し伸べられているお大師さまです。
私も

心を込めて、感謝の心で手を合わせ

目を見合わせながら、一つだけお願い事をさせていただきました。
笑っていらっしゃるようでした。

整然とした境内です。
心洗われるようなお詣りができました。
お詣りの時にお大師さまや息子に尋ねたことに対して、そのお応えは私に分かる方法で伝えてくださっていました。
例えば次男のことでお詣りしましたら、お寺の石柱などに次男と同じ名前を発見します。
これまでのお詣りでも、そういう方法で幾度も答えていただきました。
昨年、私は次男の動きに対して「これで良いのでしょうか?」とお尋ねしました。
彼が新しいことに取り組む前に2回お詣りしましたが、2度とも次男の名前が見当たりませんでした。
大きな動きでしたから、私は非常に落胆しました。
今回は、また殊のほか期待と不安を抱えてお詣りしました。
この国分寺に到着した時に、「最初の石柱に名前があったら、この選択は間違いではない」そう思いました。
ですが、さすがに自信はなく「そんな万に一つのようなこと起こるはずないわ」と思いながら...

最初の石柱まで急ぎました。
すると、なんとなんと

最初の石柱に次男と同じ名前が有るではありませんか!
驚きと喜びで興奮してしまいました。
お大師さまと息子からの啓示だと思いました。
成功するとかしないとか、そういう欲張りな思いではなく、只々「それでいいんだよ」と頷いてくださったように感じました。
このことをお笑いになるかもしれませんが、私は本気でそう信じています。
昔読んだ本に「亡くなった人いわゆる仏さまは、自分の口で伝えることはできないから、伝えたい相手が分かる方法で、その想いを伝える」と書いてありました。
これまで折々に、息子は私に分かる方法でいろいろなことを伝えてくれました。
息子と私の会話です。
そして、息子は弟や友人たちとも会話をしているようです。
それぞれの胸の中で生きているというのは、ただ思っているだけのことではなく存在しているのですね。
その存在がはっきり自覚できて、私の狂おしいような息子への想いから、気持ちの安定した息子への想いに変わりました。

感謝の気持ちと清々しい思いで、この国分寺を後にしました。
例えば次男のことでお詣りしましたら、お寺の石柱などに次男と同じ名前を発見します。
これまでのお詣りでも、そういう方法で幾度も答えていただきました。
昨年、私は次男の動きに対して「これで良いのでしょうか?」とお尋ねしました。
彼が新しいことに取り組む前に2回お詣りしましたが、2度とも次男の名前が見当たりませんでした。
大きな動きでしたから、私は非常に落胆しました。
今回は、また殊のほか期待と不安を抱えてお詣りしました。
この国分寺に到着した時に、「最初の石柱に名前があったら、この選択は間違いではない」そう思いました。
ですが、さすがに自信はなく「そんな万に一つのようなこと起こるはずないわ」と思いながら...

最初の石柱まで急ぎました。
すると、なんとなんと

最初の石柱に次男と同じ名前が有るではありませんか!
驚きと喜びで興奮してしまいました。
お大師さまと息子からの啓示だと思いました。
成功するとかしないとか、そういう欲張りな思いではなく、只々「それでいいんだよ」と頷いてくださったように感じました。
このことをお笑いになるかもしれませんが、私は本気でそう信じています。
昔読んだ本に「亡くなった人いわゆる仏さまは、自分の口で伝えることはできないから、伝えたい相手が分かる方法で、その想いを伝える」と書いてありました。
これまで折々に、息子は私に分かる方法でいろいろなことを伝えてくれました。
息子と私の会話です。
そして、息子は弟や友人たちとも会話をしているようです。
それぞれの胸の中で生きているというのは、ただ思っているだけのことではなく存在しているのですね。
その存在がはっきり自覚できて、私の狂おしいような息子への想いから、気持ちの安定した息子への想いに変わりました。

感謝の気持ちと清々しい思いで、この国分寺を後にしました。
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プロフィール
Author:まま♪
息子を亡くして20年、いつか四国八十八箇所霊場巡りをしたいと思ってきました。
そのために体を鍛えたり、金銭的にも無理や負担のないように計画できないものかと色々考えて来ました。
やっとその目処もつき、初めの第一歩を踏み出しました。
六十路のゆるい修行の旅になりそうです。
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